諦観のススメ

無職無能のブログです。

除夜の鐘はうるさいのか?

昨今問題になっている「除夜の鐘うるさい問題」
個人的にはうるさいとは思わないんですが、寺の近くに住んでないからっていうのもあるので、そりゃ近くに住んでいたらうるさいとは思うだろうなあって感じです。注意すれば確かに聞こえるという近さです。
こういう問題が批判派と擁護派が水掛け論になってしまうの理由は、許容範囲と想像の範囲が異なってるから平行線なんですよね。「うるさいか、うるさくないか?」という提起に「うるさくないに決まってる」と「(うるさいと言えばうるさいが許容の範囲内だから)うるさくない」が一緒くたに「うるさくない」になってるんです。「(うるさいのは、うるさいでしかないから)うるさい」って言う人と合わないに決まってます。


「除夜の鐘は年に1回、風情ものじゃん」って言う人がいますが、108回の突発的な衝撃音ですよ……そりゃ嫌でしょ。「風情」だから許されるとかじゃないんです。「今からあなたの家に108回ピンポンします。文句言わないでください」って言われてるのと変わりないんですから。連続108回ではなくて不均等に108回ですからね。
風情ものなら、渋谷のハロウィンのバカ騒ぎも「風情だから。渋谷だし。年1回じゃん」でまかり通りますよ。渋谷のは文句言うくせに除夜の鐘は「風情だから~文化だから~」では一貫性がないです。

 


うるさくない派はそもそも鐘の音自体に気付いてない場合も多いです。うるさい派はまず気付きます。
相対的に音が大きく感じるのが原因です。これは苦情を言う側の問題です。
例えば、クシャミをするとき、ガヤガヤした駅でするのと静かな図書館でするのでは同じ音量だとしても図書館のほうがうるさく感じます。うるさくない派は家の中が賑やかな状態になっているので大して気にならないのに対し、うるさい派は家が図書館状態なので小さな音も聞こえるので気になるのです。

 

家と寺、どっちが先にあるかにもよりますが、だいたい寺が先でしょうから、気になる人は周囲を気にしてから引っ越すべきでしょう。寺の近くに引っ越しといて苦情を言うのはさすがに擁護できません。
最近では寺側は寺側で、除夜を除夕にするという対策をしてるみたいですが、これはかなりいいと思います。やはりお休みの時間に鳴らすから目立つのであって、夕方ならまだ動いていますからそこまで気にならなくなるというのもあります。しかも参拝者もそのほうが防犯面や子連れで行けるなどメリットがあります。そんな夜間に出歩いて何のメリットがあるんでしょうか?

時代も時代なのだから、そういう風情も移り変わっていくのが今の時代だと個人的には思います。