諦観のススメ

無職無能のブログです。

学校=学業を学ぶ所だと思っていた

半分正解ですが、半分不正解。
他にも学ぶべきものはたくさんあります。なのに自分はそれしかやってこなかったのです。部活や委員会は最低限参加する程度で勉学以外を蔑ろにしてしまった結果、勉学を含めてめちゃくちゃになりました。


小中学校は活発ではないものの。部活に関しては顧問に怒られない程度に手を抜いてうまいことやっていました。勉学に関しては相当勤しんでいました。しかし高校は「最初」を失敗し、部活は適当に入り、次第に勉学も適当になり、全てを妥協の方向に持っていこうと考えが変わりました。

「最初」とは何か?


小中の「最初」と高校の「最初」はまったく別物です。
小学校だといつの間にか親しくなっていて、共に成長すると思います。あまり選り好みはせずみんな広く浅く知る感じのはずです。中学校は、小学校の時の仲良しグループがあってそこから似た者同士がワイワイやっていくという感じが多いと思います。
では、高校はどうでしょう? 電車通学も増え、全然知らない地域の人もいます。中学校の時の仲良しグループがあるかというと、ないことのほうが多いはずです。そしてグループとしては狭く深く関わるようになります。この「最初」の形成を盛大に失敗したのです。
高校に入学して2ヶ月くらいで「あ、これ……一人でやっていかないといけないんだ」と悟りました。中学校だと「次って数学だっけ……音楽かっ! 急いで音楽室に移動しなきゃな」とかワイワイやってましたが、高校だと(次は生物だから理科室か。)とすぐ確認して黙々と移動してました。


勉学がめちゃくちゃに

勉学も高2で諦めました。中学校の時は80, 90点くらいは当たり前、苦手な教科でも70点までに収める勢いで勉強をしていたのですが、高校では平均点でもいいや、それ以下でもいいやと投げやりになりました。100点満点のテストで10点台を出した時も「ま、いいや」で終わらせました。

こうなった理由は大きく2つ。
1つは、大学入試に使わない教科なら捨ててしまって構わないと思ったから。
当たり前です。全教科が10, 20点はさすがにどうすんねんって感じですが、使わない教科は捨てて、使う教科に尽力したほうがいいです。高校での話です、小中でこの考えは止めたほうがいいです。

もう1つは、誰に見せるわけでもなく恥ずかしくないと思ったから。こっちが本当の原因です。
中学は仲のいい友達と、テストの結果がどうだとか最後の問題ひっかけだったねとか切磋琢磨、和気藹々と寸評してたのが、高校ではそんなこと言いあう人がいなかったので頑張る気もなくなりました。高3の定期テストでも平均点ばかりになってました。
唯一きちんとやったのはセンター試験だけです。これだけは全力でやりきって、私立一般試験は適当になっていました………………やる気がなくなったんです(笑) センター試験で受かってる気がしましたし、そもそもそんな高い所を受けてないですし。

低いレベルの大学に行ってこう思ってます、「塾行かなくても、この大学なら元々の学力だけで行けただろうな」って。

 

理想は何なのか


小中:人間関係は広く浅く 地域社会は狭く
高校:人間関係は狭く深く 地域社会は広く
がベストです。

小中はともかく高校の時にこれを
   人間関係は狭く浅く 地域社会は狭く
スニーカーで入っても浸水しないくらいの水たまりです、こんなので生活したんです。何も広がらない。

コミュニケーションがあまりに欠如したこの高校からが、終わりの始まりでした。